高架下商業施設 開発ストーリー

ふくまる通り57

鉄道グループ2社がつくりあげた、今までにない「通りのにぎわい」。

チームメンバー

  • 小杉 雅也

    高架下事業部 開発課 課長代理

    小杉 雅也

    Kosugi Masaya

  • 中村 卓

    高架下事業部 開発課 係長

    中村 卓

    Nakamura Suguru

  • 澤田 侑麻

    高架下事業部 開発課 

    澤田 侑麻 2014年入社

    Sawada Yuma

    先輩社員インタビュー

  • 小谷 梨菜

    高架下事業部 開発課

    小谷 梨菜

    Kotani Rina

2社で何かできたらいいね。目標を揃えることから始まった。

Q

商業施設における初の共同開発。どういう経緯でスタートしたのですか?

小杉

ここは、JR大阪環状線の福島駅からすぐの立地。古くからのテナント様が並ぶ高架下と、それに沿った幅3~7.5mの駐車場がJR西日本の用地。そして、その横に隣り合わせて阪神電気鉄道さんの用地があります。
どちらも細長い敷地だけれど、両方をあわせたらおもしろいことができるんじゃないかと。

ただ、阪神電気鉄道さんにとっても当社にとっても初めての取り組みであり、同社とは鉄道事業ではライバル関係にある。共同事業など今までなら考えられなかったと思います。
しかし、少子化による人口減少、それに伴う鉄道利用者の減少が見込まれるなか、両社の沿線を協力して活性化していきましょうという機運もあって、話が始まりました。

中村

当初、阪神電気鉄道さんはあまり乗り気ではなかったんです。近くにホテル阪神大阪があるので、その駐車場として活用されていた。
イベントなどがあるときに、関係者用の観光バスをとめるスペースにしておられるため、手放すわけにはいかないと。

小杉

そのようなところで、共同開発をしましょうなどと言われても、先方にしたら「いきなり、何を言い出すのか」と思われるはず。
そこで、まずは人間関係を作るところから始めようと、ミーティングや懇親会など、時間をかけて進めていきました。

中村

そんな経緯もあって完成までには、ほぼ7年かかりました。その間に、両社とも上司は2~3人ずつ変わっています。これほど長いプロジェクトはめずらしいです。

Q

両社の意見のすり合わせ、どんな部分がむずかしかったのでしょう?

中村

どんなふうに活用するか、という目標値を合わせるところから始まりました。
当社としては、やるからには収入規模を見込める面積の大きなものを造りたい。そして、前の高架下店舗もまきこんで線区価値向上につなげたい、という想いがありました。

阪神電気鉄道さんの方は、もっと小規模なものをイメージされていたので、まずはそのすき間を埋めていく必要がありました。
収益面での説得材料を作りつつ、でも理詰めで攻めるのではなく、腹を割って話せる雰囲気も作りつつ。

小杉

会社としての考え方が、当然違いますからね。しばらく停滞ムードが続いていたのですが、あるとき食事をしながら「本音でいうと、どうすれば実現できると思います?」と聞いてみたんです。 そうすると、意外にも当社が譲れないポイントと、阪神電気鉄道さんがこだわるポイントが少しずつ違うことが分かってきた。

たとえば先方が譲れないポイントも、当社にとってはどちらでもよいポイントであったり、またその逆であったりする。少しずつ歯車がかみ合いだしたんです。

人が集まる場所をつくりたいから、あきらめなかった。

Q

看板イメージとなっている飲食店スペース。当初はまったく違うプランだったとか?

小杉

じつは最初、高架下側の大部分が壁になる予定でした。ホテルとスーパーのバックヤードがどうしても必要という意見があって。
でも、それでは魅力的な施設にならない。既存の高架下店舗と向かい合わせで飲食店をならべてこそ、相乗効果が出ると考えました。

澤田

そこは絶対にゆずれない部分ですよね。今ある高架下店舗の価値も下がってしまう。

中村

ただ、バックヤードが必要という声も優先しないといけないので、両方が共存できる方法を考えました。ターンテーブル方式のバックヤードを採用して、奥行きを節約。飲食店のスペースも最低限必要な奥行きはどのくらいかと。

小杉

ありとあらゆる商業施設を回って、店舗の奥行きを調べました。レーザーで測量できる機械で、のれんのすき間からピッと測って(笑)。

小谷

かなり怪しい雰囲気だったでしょうね(笑)。でも、その結果、奥行きが2700mmあればギリギリ飲食店舗として成立するのだと分かった。

小杉

ここは、当社としてねばりにねばり、協議を行い、最終的には奥行は浅いですが、飲食ゾーンとすることで阪神電気鉄道さんにご同意いただくことができました。

Q

ねばって確保した、飲食店スペース。さらにおもしろい展開が起こったわけですね。

澤田

テナントの阪急オアシス様が、グローサラントという業態を提案してくださったのです。
グローサリー(食料品)とレストランが合体した業態で、好きなものを買って、好きな場所で飲んだり食べたりできるスペース。
スーパーマーケットと、バルやカフェコーナー。それらが一体となって、キッチン&マーケットという楽しい雰囲気をつくり出すことができました。

「にじみ出しのルール」も新しいアイデアでした。通り両側の店舗が、外壁から1.5mまではテーブルをはみ出していいというルール。最近のトレンドとして、あえて中間スペースをつくる手法は注目されているんです。

小杉

公道ではなく、阪神電気鉄道さんとJR西日本の自社用地だからできたこと。床石の色も変えて、はみ出していい位置を明確にしました。
運営のことを考えて、どこまでならOKかを決めておくことで、車いすの方が通りにくいなど問題が起きないように。

ふつうなら注意対象になることを、一定のルールのもとで「はみ出してください」というルールを作った。結果的に、にぎわいある独特な雰囲気をつくることができました。

屋上に飾られた、2社の新型車両。

Q

線路の真横に位置する土地。工事面はスムーズでしたか?

中村

かなり気を使いましたね。地下室があるので深く掘る工事があったのですが、場合によっては線路がゆがんだりすることもあるんです。
掘削することで地下水が抜けないように頑丈な仮設物を置いたり、高架橋に計測ポイントをつけて線路の位置が動かないことをつねに確認していました。

小杉

あとは、鉄骨を組み上げるときに足場を組むのですが、落下防止の覆いがつく期間は、昼間でも高架下店舗前が真っ暗になってしまう。
高架下で営業してくださっているテナント様には、本当に辛抱づよくお付き合いいただきました。

Q

電車の中から見える、屋上の車輛は?

中村

エアコンの室外機の囲いを、電車に見立てて並べています。初めは「本物の電車を飾りたい」という、こだわりの意見もありました。

小杉

そこにこだわったのは、もちろん当社です(笑)。

中村

オーストラリアのメルボルンに本物の電車が乗ったビルがあって、それを実際に見に行ったりして盛り上がった時期もありました。ただ、いくら軽量化しても何十トンもある。
さすがに阪神電気鉄道さんから「冗談はやめてください(笑)」と言われました。それでも何年ごしで言い続けるものだから、最終的には「分かった、分かった」という感じで折れてくださった。

小谷

きっと「ここは譲れない部分なんだ」と、観念されたのでしょうね(笑)。
本物ではないものの、最終的にはお互いが本気だして、最新車輛のデザインになりました。JR西日本の323系と阪神電車の5700系。

小杉

おもしろいというか、照れくさいというか、鉄道グループらしいエピソードです(笑)。

開業当日。思い描いた以上に、賑わいの光景がひろがった。

Q

たくさんのエピソードが生まれながら、出来上がったわけですね。

小杉

期間が長かったし、2つの会社が一緒になって造っていく。そりゃ、いろいろな笑い話も生まれてきます。
どちらも粘り強かった。でも、それだけ一生懸命に考えて取り組んでいる、ということかもしれないですね。

澤田

私が参加させてもらったのは最終的な契約段階からですが、追い求める姿勢が大切なんだと教えてもらいました。
社会に提供したい街づくりはどんなもので、どんな価値があるのか。正しいと思うことは、あきらめずに追求することが大事だと。

Q

開業後の様子は、どんな感じでしたか?

小谷

とくに小杉さんと澤田さんは、毎日のように通っていましたよね。

澤田

グローサラントでいろいろ買って広げていたら、隣のテーブルの人たちが楽しそうに話しかけてきたり。まさに、自分たちが想像していたような光景でした。

阪神電気鉄道さんとも、よくお会いました。
あの頃のみんなの口ぐせは、「いい通りやなぁ~」と「ここにいる人たちはどこから来たんだろう?」の2つ。当初、仮説を立てていたターゲット層とは違う人たちも多く見られたので。

中村

たしかに、ふくまる通りができたことで、人の流れが変わりました。もともとは、福島駅から新福島駅につながる道路沿いがメインだったのが、それに負けないくらいの動線ができあがった。駅からの途中にある、従来の高架下店舗にもかなり良い影響が出ています。

お互いの頑張りに敬意を表して、キロポストを贈りあう。

Q

阪神電気鉄道さんとの距離もかなり近くなったのでしょうね?

小杉

後半になるほど、同じ会社の同僚みたいになってました。いつの間にか、挨拶が「お疲れさまです!」に変わってました。

中村

仲良しの印じゃないですが、お互いのキロポストを建てたんですよ。
キロポストというのは、鉄道の起点からの距離を表したもので、阪神電気鉄道さんとJR西日本の線路が並んで走っていたことを歴史に残す意味もあります。

澤田

なんだか、いいですよね。
このプロジェクトは以前から社内でも話題になっていて、そこに自分も関わることができてありがたいと思っています。
先輩方の、テナント様との関係性の作り方や交渉術も学ばせてもらったし。

小杉

いやいや、澤田くんと小谷さんが手伝ってくれたから漕ぎつけた。契約関係や山ほどの事務手続きはほとんど任せきりでした。

中村

ほんとにね。他のメンバーにもいろいろと助けてもらいました。
阪神電気鉄道さんはもちろん、みんなの努力の結果だと思っています。

小杉

「ふくまる通り57」で、新しい人の流れを作れたことは大きな成果。さらに、阪神電気鉄道さんと一緒に成し遂げられたことは、これからにつながる大きな財産だと思っています。

※ 所属部署は、インタビュー当時の部署を掲載しております

携わった先輩インタビュー

  • 高架下商業施設の開発 ふくまる通り57
  • 高架下商業施設の開発 ビエラ野田
  • 健康・医療の街づくり ビエラ岸辺健都
  • 分譲マンションの開発 ジェイグラン北千里
  • 駅ビルの開発 ビエラ大津
  • 高架下商業施設の開発 ビエラタウン玉造