高架下商業施設の開発ストーリー
高架下商業施設の開発ストーリー
立ちはだかるハードルを越え続けた先に
ワクワクする光景が待っていた。
JR西日本 近畿統括本部
企画課(出向)
佐伯 義一
Saeki Yoshikazu
高架下事業部 開発課 係長
小杉 雅也
Kosugi Masaya
広島総合事務所
小楠 徹
Okuzu Toru
最初からあのデザインにというわけじゃないんですよ。もともとは普通のビルを作ろうとしていたんです。
デザイン画を見ていたら2階部分が電車みたいに見えたんです。これをカラフルにしたらどうなるかなとふと思ったのがキッカケです。新幹線にしたらどうかなとか、電車みたいにしたらどうかなとか。既に描かれていたデザインを活かして、軽い気持ちで描いていたら部長の目に留まって、電車のデザイン、いいじゃないかと。慌てて佐伯さんにお願いして、プロに描き直してもらったのが始まりなんです。
現場担当者からしたら正直迷惑な話ですよ(笑)。そのときはもう実施設計も完了して、工事はスタートしていた。その後にこの話が出てきたので大混乱です。全部、現場で変えたんですよ。
そうなんですか!僕がプロジェクトに参加したのはこの後なので知らなかったです。すごい行動力ですね。
最初は大胆すぎるという意見もありましたが、2階は保育園であることを説明すると、じわじわと賛成が増えました。
車両に合わせたオレンジの色も賛否両論ありましたね。オレンジ色の建物ってないでしょう。前例がない分この色がどう表現されるかというのも、できあがるまで不安で仕方なかった。色のサンプルを作って、ホーム上で実際の電車とサンプルを見比べたりして。
駅員さんに「何やってるの?」という目で見られましたね(笑)。
できあがってみたら、評判は予想以上に良かった。苦労した分、本当に嬉しかったですね。
大阪環状線改造プロジェクトの目玉の第一号として、TVや雑誌など多くの取材も受けました。かつてないほどの反響でしたね。
これが普通の形の施設だったら、おそらくここまでの反響はなかったですよね。
結局終わってみたら、当初は慎重な意見だった方々からも「よくやった」と賞賛の声をいただけたんです。
我々としては駅前に新しい人の流れを作りたいという思いで、改札口を新設することを提案しました。しかしそうすると駅の方の業務量も増えてしまうということで強く異論が返ってきました。そこからのスタートだったんです。
新しく改札ができても係員が増えるわけではなく、しかも既存の改札からは一番遠い、正反対のところにできるわけですから、単純に行き来するだけでも負担になってしまうという意見も理解できました。
これは僕の入社前の話ですが、承諾されるまで2年かかったと聞いています。
でも改札口ができることによって、地域の人が便利になるという点は、しっかりと共感してもらえていたと思います。そこをベースにして、お互いで真剣な議論を重ねていった結果、なんとか開業までに新改札口はできたんですが、運営のルール作りについてはギリギリ間に合わなかったんですよ。
今までは改札を新しくつくるときに、参考にできるようなルールが無かったんですね。
そう。なので、この玉造のプロジェクトでひとつのルールをつくり、そのルールを水平展開することで、他の駅で新しい改札口をつくる際のスタンダードにしていこうと考えたんですが、そこが非常に苦労した点でもあります。
いろいろな苦労があっただろうなとは思っていたけど、実際に聞くのは初めて。ここまでとは思いませんでした。
改札口の名前ひとつとっても、さまざまな意見が出て1週間や2週間はかかる。最終的に整理できて、改札口がきちんと開いていく姿を見たら、不覚にも涙が出たくらいですよ(笑)。
彼にはハード面を担当してもらい、私と一緒に現場を中心に動いてもらいました。大学を出たばかりで突然現場に参加させられて、辛いだろうなと思ってはいたんですが、本当によくついてきていましたね。最終的にはこちらが何も言わなくても先んじて行動していたくらい。
ありがとうございます!僕が印象に残っているのは、夜間に鉄骨を組んだクレーン工事ですね。
実はもともと、昼間に工事をすることでJR西日本との協議は完了していたんです。日中の列車が多い時間帯は、列車が通り過ぎて次の列車が到着するまで約3分間、その間だけで工事をするということです。
でもやはり万が一のことがあってはならないということで、こちらから申し出て列車が全部止まってから工事を行うことにしたんですよね。
終電後の深夜から、始発前の早朝にかけての工事としました。夜間に現場確認を行いましたが、全く嫌がらずについてきた。冬だったから寒かったな。
はい。実際には何をするわけでもないんですが、寝ずに現場に張り付いていました。 入社当時から安全面では厳しい目を持つように言われていて、今も安全を最優先にというのは心に刻んでいます。特に高架下の工事は、高架橋に重機等が少しでもぶつかって軌道がずれたら大変なので、ピリピリします。不安が少しでもあれば業者さんと徹底的に話しますし、その結果を持ってJR西日本にもきっちり話をしていきます。そういうやり方はこのプロジェクトで教わったことです。
どこまで詰めて計画しても、実際に施工するのは自分自身ではないので、想いがどこまで伝わっているかはわからない。それを思えば詰めて詰めて、これでもかというくらい安全というものを考えなくてはいけないんです。
私はあまりこと細かく手取り足取り教えるほうじゃないので、分からないことはたくさんあったと思います。そのなかで自分なりに考えて理解してきたことは、しっかりと身に付いているんじゃないかなと思いますね。玉造のプロジェクトが終わった後、彼は担当の施設をひとつ完成させていますから。
ビエラ福知山で高架下の施設を担当させてもらいました。でも僕は丁寧に教えてもらっていたと思います。
聞かれたことに関しては答えますが、先回りして教えることはしていません。私もそうやって教えられてきましたから。
逆に分からないことはガンガン質問させてもらっていたのが良かったんですね。
ビエラタウン玉造では、もともとやりたかった駅から始まる街づくりに携われた。できあがってみて、僕は間違ってなかったなと思います。本当に、人の流れが変わりましたよね。
ただ、こういう話を聞くと担当者はその案件だけやっていると思われがちですけど、そうじゃない。ビエラタウン玉造ができあがるころには桃谷のプロジェクトが始まっていましたから。同時並行で何カ所も担当するので、想像以上にきついです。こればかりは体験してみないとわからない世界だと思う。
いろんな案件をオーバーラップしてやっている感じですよね。
「無理だ」と諦めてしまったらもう終わり。やり通す力がないとできないと思います。佐伯さんはその力がある方なので、頭を抱えながらもやりぬいてくれました。普通なら絶対諦めているところだと思います。そしてまた、本人も遊び心を持っているんですよね。電車ですから屋根には丸みが要りますよって言い出して。誰も丸くしろって言ってないのに(笑)。
電車らしさを出すための、ファサードについてはこだわりました。既成品だけではこうはできなかった。こだわった分、構造的な見直しや変更、材料選定にも苦労しました。
こだわりにこだわりましたね。あれだけ多くの方が携わっているものをまとめ上げるには、尋常じゃない責任感が必要だと思います。現場で何か起こった時にも、いろんな可能性を考えながらベストを見つけていく。そこは諦めない。見ていて強く感じました。
工事が始まると多くの関係業者さんが入ります。関わる人が増えていくなかで、その辺を統括して全て見ていかないといけないし、突発的に起こったことへの対応も、瞬時に判断していかなければいけない。私から見ても佐伯さんはすごいなあと思いました。小楠くんはそれを見習って、吸収してくれていると思います。
適当に終わらせることもできるけど、それをしないで、誰に聞かれてもきちんと説明できるところにまで自分で理詰めしてから動くようにしています。2人が実際にやっていることを見てきているので、それがベースになっている。細かいことでも業者さんに任せっきりにはせず、必ず自分の目で確かめるようにしています。
工事が始まれば現場へ頻繁に足を運びます。単純な作業でも何かあったときに備えて必ず行くように。たとえばヘルメットを被らない職人さんに対して注意したり、細かいことですが現場に行かないと気付けないですから。
教え通りです(笑)。
いつか2人のように、駅や街まで巻き込んで盛り上がるような仕事ができたらなと思います。相乗効果で線区の価値が向上し、人の暮らしに影響を与えるような開発を手がけてみたい。そのために、多くの経験を積んでいきたいと思っています。
※ 所属部署は、インタビュー当時の部署を掲載しております。